コスタリカ(カサマーロッジ)~ブラジル(メシアナ島)~アマゾン(バルセロス)~マナウス(バルビーナ湖)やりすぎ釣行記

さて、レポートを書こうにも最近の釣行がないので過去の釣行を思い出しながら書くことにした。
とにかく自分のレポートなので好き勝手に書かせてもらうことにする。
なので、誤字脱字は当たり前、暇つぶしに読んでやってください。
 

まずは第一回目ということで15年も前の話になるが今でも意外と鮮明に記憶が残っているのでこの斬新な釣行記から書くことにした。
では、2002年9月の飛行機を17回も乗り継いだえげつない釣行から始めましょう。
 
 
これまたピラルクーの生息するメシアナ島釣行が決まったエピソードが単純で面白い。
 
そのきっかけがこれ。
 
当時、ブラジル在住Y氏から大阪の知人U氏に電話が入った。
 
ちなみにY氏は熱帯魚の輸出業を営み我々がアマゾン釣行の際、コーディネイトとガイドをしてくれたりと釣り好きがこうじてマナウスに居住した関西人。
 
(ちなみに今江プロが出演しているグレートアマゾンのDVD前編でも登場してました。)
 
前置きが長くなったがどうやら電話の内容は、アマゾン特集のテレビ取材で女優市川悦子にピラルクーを釣らせる番組にY氏がサポートとして出演したのだという。
 
めでたくピラルクーは餌で釣れ、取材は無事終了したらしい。
 
 
しかしその取材後、何とY氏がキャストしたザラスプークにピラルクーがバイトしてきたのだと言う。
 
その電話の単純明解な内容が『ザラにピラルクーが出た!』だった。
 
この一言で我々はブラジルメシアナ島に行くことが決まったのだった。面白い事にルアーに出ただけで釣れたとはといってないのだが。
 
とにかくその話を聞いた我々はピラルクーがトップに出たのなら居てもたっても入られず即、予定を決めた。もはやこの時点で我々が釣られてしまった感があるが。
 
つまりメシアナ島釣行はそんな単純な動機で決まったのだった。
 
そういえば、あの開高さんも醍醐さんもでさもピラルクーを釣り上げることはできなかったし、ましてや当時、日本人がルアーでピラルクーを釣った話は聞いたこともなかったのだかますます、私のトップ魂に火がついたのだった。
 
もちろんそれだけではせっかくのブラジル釣行が済むわけもなく、せっかくだからバルセロスでピーコッックバスもやりましょうとすんなりと追加釣行が決まったのだった。
 
ちなみにメシアナ島からバルセロスまでザッと地図上で約2000kmはありますけど。
 
とにかくそんなこんなで全ては勢いに任せる事にした。
 
この時点で日本から5人のメーンバーが決まった。
 
 
メンバーは世界のEIZOこと丸橋英三大先生(現JGFA副会長)、元A・S社監修役の相原元司先輩(現JGFAファイティングロッダーズ会長)、和気氏(現JGFA理事)、U氏(ファイティングロッダーズ)と私(ファイティングロッダーズ)計5人の豪華メンバーだ。

せっかくなのでご紹介すると、丸橋大先生に関しては1984年ににIGFA日本人初の世界記録をGTで獲得したり、フロリダの2大ターポン・フライ・トーナメント合計8回のグランドチャンピオンの偉業を成し遂げられたりと、フライ、ルアー、石鯛、落とし込みとジャンルを越えた超スーパーウルトラ釣師であります。大げさかもしれないが釣りの技術は俺から言わせればこれはもう神の域だな。

未だこの方を超えるテクニックと知識をお持ちの方に出会ったことがないのだから。
続いて我がファイティングロッダーズ相原会長の偉業ははなにせ今から26年前にはセイルフィッシュをバスロッドで釣り上げていたのだ。何とタックルはフェニックス・シングルハンドのベイトロッドにPENNリールにモノフィラメント12Lbを巻いて釣り上げたのだ。今風に言えば超絶にかっこいい。

それだけではなく、ベイトロッドで106LBのセイルフィッシュを2LBテストラインで釣り上げたにもかかわらず世界記録をわずかだだが逃したり、とにかく技術とアイデアが共存する凄腕ルアーマンであのヨルマルスタイルを確立した方なのだ。とにかく日本のライトタックルフィッシング界の先駆者の一人。)

お二人は東京出発組なのでブラジルのベレンで合流することとなった。
あと、大阪組の和気氏はフライでヒラスズキの世界記録やアカメ・ラージマウスバスのラインクラス・日本記録を保持したり海外釣行も経験豊富な釣仲間の一人だ。メキシコ、フロリダ、ベリーズ、のフラットのガイドで和気氏を知らない奴はいない。そのくらい、パーミット、ターポンを数多くリリースしている。そしてU氏、と私の3名が大阪組に決まった。

これまた、せっかくだからと大阪組はアマゾンの前にコスタリカでターポンをついでにやりましょうとまぁ、ついでといえばついでにかわりないのだがいとも簡単に決まったのは良いがこのあと
相当量のタックルの選択に悩むの事となった。
 
 
その後、順調に日程が組まれ、だれが言いだしたのか不明だが、今度はついでにジャングルから帰ったらマナウスのバルビーナ湖でピーコックバスのおかわりフィッシングはどう?と言い出した。要は3週間の釣りをバルビーナ湖で締めるというわけだ。
マナウスから車で2時間程度の場所にあり、お気軽フィッシングなので1泊2日の予定で更に追加が決まったのだった。
ここまできたら、なんでも来い状態。どれだけ釣りすんねん。
 
日程を整理するとコスタリカ(ターポン)ーブラジルメシアナ島(ピラルクー)ーブラジルバルセロス(ピーコックバス)ーブラジルマナウスバルビーナ湖(ピーコックバス)全約3週間の日程だ。
なので日本を出発して飛行機、セスナを乗り継ぎすると17回。そういう理由で冒頭にも書いた通り、えげつない釣行になったのだった。
 


Fast Stage  コスタリカ(カサマーロッジ)ターポン編

まず初めに大阪組3名でコスタリカターポンフィッシングに挑む。
日本を出発して2日後にコスタリカ・首都サンホセ空港に到着。次はセスナでコロラド川の空港に向かう。
コロラドの無人の空港には釣りのスタッフが迎えに来てくれてて、車、ボートを乗り継ぎ、川を上る。すると憧れのロッジcasamar(カサマー)がある。ロッジは綺麗なコテージがいくつかあり食事もボートも全て整っている。昔、雑誌で見た当時のままだった。
いつかはカサマー&ターポンと思い続けていたので、ここに到達するまで長かったような短かったような感じではあるが、むしろここに来れた安堵感の方が強かったように思う。
今回、ラッキなーだったのはカサマーのオーナーでもある、世界一ターポンを釣り上げたフライマン、ビルバーンズ氏にもお会いする事もできた。
(この数年後、カサマーのオーナービルバーンズ氏はお亡くなりになり、カサマーは廃業となったと聞いた。残念で仕方ない。)

さて、和気氏と私は初ターポンなので5日間同じジョンボートに同船することにした。
ここではルアー、フライマンが同じボートに乗っても問題はない。
海でジョンボート!なんと恐ろしいと思いきやはじめは不安だったけどターポンフィッシングには最適だったとあとでわかった。
とりあえず、まずはガイドの指示に従いルアーを流せとのことなので河口から流し始めラインを数十メートル出し、潮の流れに任せながら、たまにロッドお煽ったりしてルアーアクションを加える。河口からエンジンは切ってあるので潮の流れに乗せるだけ。常にキャストするわけではないので至って簡単と言えば簡単なのだが。なんだか餌釣をしてる感覚にも似ている。ルアーはシーフォークのようなジグだったりバイブレーションやジグヘッド、シャッド系を使う。
 
ある種ここだけの独特な釣法なかもしれないがルアーもフライも同じくほとんどほっとけ!
ストリーマーを流し、たまにアクションを加える感じ。
ガイドも余計なことはさせてくれない。
そんな中、無理やりポッパーを投げたりしもたが全く反応はなかった。
しばらくアタリがなければまた、河口に戻り同じように流し始める、ひたすらその繰り返し。
ターポンのバイトはゴンとくるアタリならわかりやすのだがデカイ魚のわりにものすごいショートバイトも多く苦労した。
 
とにかく、怪しいいと思ったら死ぬほどフッキングさせないとそう、簡単にには刺さらない、そんな魚なのだ。
 
あの巨大魚のパワーを一度でも味わうといままでの釣りは何だったのかと思い知らされることになる。下に潜る魚ならフッキングはそう難しくはないがジャンプを繰り返す魚は当然外れやすい。ヘッドシェイクも凄いパワーだし。難しいから面白い、そんな魚なのである。
言っておくが当時はナイロンが主流だったのでフッキング時には伸びる伸びる。

 
確かに未だターポンがアメリカでもゲームフィッシュとして人気があるのは納得出来る。
 
 
話は少しそれるがアメリカ人って車、音楽、釣り全般のスポーツとかとほんとに楽しむ事にたけてると思う。
なぜなら、バスフィッシングがもし日本から始まってたらあのバスボートは考えつかないだろうし、ヘドンのルアーの形状だってあの発想はあり得ないくらいカッコイイ!100年前の日本人にはあの発想はないだろう。
カーレースのドラグレースもそうだし。ベースボールもそう。
とにかく単細胞なアメリカ人はなんでも楽しむ事に全力な感じがする。全ての発想がシンプルでダイナミックなのだ。(褒めてんのかバカにしてんのかどっちやねん?!もちろん褒めてます!)
今や日本もアメリカのように他国からの血が混ざってきてるので新たな細胞、習慣、思想などが入ることで色々と変化していくだろう。それがいいとか悪いとかの論争は置いといて。これから日本人の繊細さと他国の良さが混じり合うことで新しいものが生まれてくる期待感の方が面白いと思うのだ。
わずか、アメリカ200年の歴史でこれだけのことができるのなら日本も近い将来と言っても50年先はもっと面白いことになってると思う。
もちろん、生きてませんが。

話を戻すが、
そんなこんなで、ガイドいわく決していい状況ではなかったらしいのだが5日間、毎日ごくわずかなバイト数のなか、何とかターポン様を釣り上げる事が出来きた。
そう、ターポンを釣った人ならわかると思うが釣り上げたら”ターポン様”に変わるのだ。
それだけ、ターポンを釣り上げることは大変なことなのだ。過去に2週間滞在してノーフィッシュだった先輩もいるし。諸先輩からはノーフィッシュは当たり前と思えと聞かされただけにターポン様と上げ祀る気持ちがわからないでもない。
しかし、一方では翌年後輩たちはラッキーな事にターポンロールに遭遇し多い人は一人で10本近くリリースしている。
まあ、釣りなんてこんなもんなのだが。
結果、課題も沢山残った。
やはりフッキングが言われてたように難しく。刺さったとしてもあのジャンプとヘッドシェイクでは簡単に外されてしまう。
いつかは浮いてくるような甘っちょろい魚ではないのでフッキング、プレッシャーのかけ方がほんと勉強になる魚だった。これを機にターポンの魅力と恐ろしさを知ってしまう事になったのだが。

 

あと、ここのもう一つの楽しみは海が荒れて出航できないときはコロラド川でジャングルフィッシングとなる。なにせジョンボートですから。
川でターポンが釣れないことはないらしいのだが条件が合わないと難易度が高いらしいので諦めスヌークにスイッチした。スヌークはフロリダ、カリブ海にと広く分布し、日本でいうスズキに似た魚でルアーに良く反応しゲームフィッシュのターゲットとして知られている。
特徴はエラから伸びる一本の横線がなんとも言えずかっこいい。
 
ジャングルの雰囲気はアマゾンに似ていて、岸際やレイダウンのストラクチャーに向かってルアーをキャストすればメインのスヌークがミノー、トップに果敢に反応してくる。
他にガーやマチャカなどの魚も釣れるので飽きることはなかったのと雰囲気もアマゾンのジャングルにそっくりだった。
今回のミッションの一つのトップでスヌークも釣ることもできたし、おまけにミノーでだが77cmとそこそこのサイズもカメラに収めることができた。
 
実は今回、悔しい事にガイドいわく20lbもあろうスヌークをラインブレイクをしてしまった。近年、数もサイズも中々出ないらしく、バラした後のガイドの興奮は凄まじいものがあった。その姿を見て改めて事の凄さに気付いたが、少しなめてかかってたのがいけなかった。
あとスヌークの引きはマルスズキよりトルクはある感じがしたのと思ったよりも走るかなというのが正直な感想だが、数匹しか釣ってないのであてにはならない。
なのでぜひ、機会があればまた挑戦したい。
 
まだまだ、自然豊かな国コスタリカ。カリブ海ではターポン、スヌーク、ジャッククレバルが太平洋ではマーリン、セイルフィッシュ、ルースターフィッシュなどが対象魚となる釣りの聖地なのだ。ほとんどの魚種がカメラに収めたときにかっこいい魚たちばかりだ。
是非、ルアーマンなら一度は訪れていただきたいと思う。
そしてここコスタリカでの5日間の釣行を無事終え、大阪組のメンバー3名は東京組と合流するため次の目的地ブラジルはベレンに向かったのだった。